パパ塾で受験

親子で挑んだ中学受験体験記と小中高生の勉強解説

灘中不合格体験記

 

 灘中学不合格。

 今回は、私の子どもの話ではありません。

 私自身の、約30年前の話になります。

 

 私の好きな中学受験ブログを書いておられる方が、不合格の報告をされていました。

 本当に残念で、自分のことのようにとても悲しかったです。

 

 励ますような気の利いた言葉も思い浮かばなかったので、いつか書こうと思っていた私自身の不合格の経験を書こうと思います。

 

灘中不合格からの道

灘中を目指すまで

 私の実家は医者一家でもなければ会社経営者でもない、ごく普通のサラリーマンの家でした。

 3歳ころから公文に通っていたくらいで、特殊な教育を受けることも無く公立の小学校に通っていました。

 

 小学校1-2年の頃だと思います。

 近所の知り合いのお兄さんが、甲陽学院という高校から京都大学に進学することになりました。

 私の両親を含め知り合いは皆、すごいすごいとお兄さんを褒めていました。

 幼心に、甲陽学院京都大学ってすごいんだな、行けば皆喜んでくれるんだなとインプットされ、甲陽学院を意識するようになりました。

 

 4年生から兄も通っていた進学塾に通いたいと両親に伝えると、入塾テストをパスするため3年生から近所の塾に通うことになりました。

 近所の塾は学校の補助くらいの目的で通っている子がほとんどだったので、成績はずっと一番でした。

 

 4年生から進学塾に通うことになりましたが、そこでも上位の成績で入学することができました。

 この頃に、塾の先生から灘を勧められました。

 

 塾の先生曰く、「灘は日本一の学校だ、今の成績なら目指さないと勿体ない」とのことでした。

 将来の夢を具体的に考えるようにもなり、夢のためには高いレベルの学校が良いと考え、家からも通いやすかった灘を目指すことにしました。

 

 4年生から5年生は塾でも常に成績トップクラスで、勉強がとても楽しかったような記憶があります。

 

 ただ、6年生の夏を過ぎたころから変化が訪れます。

 それまでと変わらずに勉強をやっていたつもりでも、成績が思うように出なくなってきたのです。

 

 一度歯車が上手く回らなくなりだすと、楽しく感じていた勉強も楽しくなくなりました。

 それでも灘合格圏内に居ることがほとんどだったので、志望校は変えませんでした。

 

 6年生の後半は、今思えば義務感で勉強していたように思います。

 

 冬頃には上位クラス(灘甲陽クラス)から転落しかねないほどの成績の落ち込みも経験しました。

 とにかく焦っていた気がします。

 

 塾の先生からも親からも、滑り止めの受験を勧められました。

 灘に合格してみせるという強がりと、不合格ならどこに行っても同じだから公立に行くという謎の考えで滑り止めは受験しませんでした。

 受験校を強要しない、自由にさせてくれる塾と親だったんだと思います。

 

199〇年2月某日

(今と違い、東京の入試よりも関西の入試の方が遅かった気がするため2月と書いています)

 灘中の入試本番のことはほとんど覚えていません。

 とても寒かったような気がします。

 ただ、気付いたら終わっていました。

 ここまで手ごたえの無いテストは初めてでした。

 

 2日間のテストを終え、合格発表。

 うすうす感じていた通り、私の番号はありませんでした。

 

 後で確認した点数は、見たことないくらい悪くて……。

 悔しくて、自分より成績が悪かった子が合格しているのを見て情けなくて……。

 塾の友達が、気を使って私に話しかけないのが分かって……。

 消えてしまいたいと思いました。

 

 その後のことはあまり覚えていません。

 真っ暗な自分の部屋をただ眺めていたような気がします。

 その日の夜に父に「悔しいと思うなら次は高校受験で見返したらどうや」というようなことを言われたのを覚えています。

 

 大人になった自分が、同じ境遇の子どもに同じことを言えるかは疑問です。

 そこまで頑張っていたのを知っているから。

 そんなことを言うのが酷いことなんじゃないかと思ってしまうから。

 

 でも、当時の私はそれまで受験勉強しかしてこなくて、目標を失って。

 親に期待してもらったのに裏切ったことが辛くて。

 新たな目標に忌避感を抱くことなく、親にもう一度期待してもらえるならと高校受験を目指そうと考えました。

 塾の先生に報告にも行きました。

 最近のブログやSNSなどを見ていると、生徒や保護者が塾の先生に合格できなくてすいませんと謝るのが礼儀のようですね。

 

 当時私が通っていた塾は、先生が親に合格させられずに申し訳ないと謝ってくれていた気がします。

 その際、「不運にも不合格でしたが、彼は必ず伸びるから高校受験するべきだ」というようなことを言われました。

 先生曰く、中学受験勉強してきたアドバンテージは非常に大きいとのことでした。

 

 私が通っていた塾は高校受験コースが無かったので、塾の先生がお勧めする他の塾に通うことになりました。

 先生に期待してもらっていた分まで、ここから頑張らなきゃと考えていました。

 

 思えば、父親と塾の先生にかけてもらった言葉でそこから頑張ろうと考えられたのだと思います。

 そこで酷い言葉をかけられていたら……、おそらく今の私は無いと思うのです。

 

高校受験塾に

 こうして中学校の入学を待たずして、高校受験の地元では有名な塾に通うことになりました。

 その塾には私と同じように、灘を落ちて通う子も居ました。

 

 そこで感じたのは、小学校の塾の先生が言っていた通り中学受験のアドバンテージは非常に大きいということでした。

 新たな教科である数学や英語も含めて、その塾でも成績はトップクラスをキープできました。

 それも、それほど勉強が大変だと思わずに。

 

 勉強の仕方が分かっているから、小学校でやった基礎知識があるから……というのも理由だと思います。

 ただ、小学校の勉強がとても辛かったから、あれを上回る辛さは無いと感じられたのが一番だと思います。

 普通にやっていたら追い込みすぎている状態だったんですよね。

 これはその後、大学受験や、仕事の上で受けなければいけない試験などにも共通しました。

 小学校の時の方が大変だった。

 

 なので、実は高校受験に関して大きなドラマは無く、それほど苦労も感じませんでした。

 こつこつと勉強すれば成績が上がる高校受験勉強の方が、閃きを必要とする中学受験よりも簡単だと感じられたくらいです。

 

 こうして高校は無事、灘に合格することができました。

 高校受験は滑り止めも出願し、合格しました。

 

高校入学後

 灘はまじめな(イケてない)風貌の生徒も多いですが、今風のおしゃれな子も居ます。

 クラブ活動を頑張っている子も多く、一見普通の学校でした。

 

 ただ、入学して感じたのは、今まで見たことも無いくらいに賢い子が多いということでした。

 特に中学校からの入学組。

 

 同じ勉強をしても記憶が、理解が全然違う。

 

 私はそれまで、成績というのは単に勉強してるかどうか、量と効率の問題だけだと思っていました。

 

 それは勘違いだった、自分は井の中の蛙だったと思い知らされました。

 灘で特別な授業があったわけではありません。

 ただ、友達についていこうと思うと、気付けば私の志望する大学に入学していました。

 

 灘などの超進学校に行くメリットは、上には上がいることを知れることや、同級生についていくだけで成績が上がっていくことだと思います。

(当然ある程度の努力は必要です。)

 

 ただ、それも中学受験勉強していたから。

 私の場合、中学受験勉強の貯金で、その後苦労せずに済んだ気がしているくらいです。

 

 やっぱり中学受験勉強は辛かった。

 でも確実に血肉になりました。

 

最後に

 今回の記事はあくまで私の体験談と主観です。

 

 それを分かっていても、私は思います。

 努力は無駄になりません、止まりさえしなければ

 中学受験でしてきた苦労は、例え不合格でもそこで立ち止まらなければ必ず役に立ちます。

 

 最後に、この記事を書いていて思うこと。

 小学校も中学校も塾に通わせてくれて、私立の高校に行かせてくれて、裕福でない私の実家には辛かっただろうと思います。

 今振り返って本当に感謝しかないです。

 

 今親になって……、いつか私の子供も親がしていることに感謝する日が来るのかなと思います。

 感謝されたいから何かするわけではありませんが、そんな日が楽しみですね。

 

 今から受験の方は、合格することを心から願っています。

 あと少し頑張ってください!